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書評「国技大相撲から日本人力士が消える」

今日は本の紹介。


国技大相撲から日本人力士が消える国技大相撲から日本人力士が消える
(2007/09/15)
池脇 恭雅

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先にこの本の沿革を書いておく。
2007年に出版された本なのだが、
出版社は「新風社」という自費出版詐欺でひところ問題になった会社。

奥付を見ると、著者は行政書士が本業で、プロのライターではない。
アマチュアの相撲愛好家がとにかく自腹を切ってでも世に出したいと、持論を書き上げたもののようだ。

なにしろ私もブックオフのオンラインショップでたまたま目にして、タイトルが気になって取り寄せたもの。
くわしい背景は想像するしかないんである。

なにしろそんな事情もあってか、とにかく地味な本だ。
読み手にやさしい写真や図版の類は一切なし。
親方や力士といった現場に携わる人々へのインタビューも皆無。
およそ200ページにわたって、一人の相撲ファンの思索が延々つづられているだけ。

こう書くと、独りよがりの自己満足的な本か読む価値ねえだろ、と思われるだろうが、さにあらず。
外国出身力士が幅を利かすようになった現在の大相撲について、
ファンが悶々としている点を的確に言語化してくれている。

というか、むしろ言語化しすぎているくらいで、
これはメジャーな出版社では出せなかったろうなと笑ってしまう代物だ。

やや理屈っぽいきらいはあるが、読後感は爽快。
そうそう、こういうことなのだよなと読みながら何度も膝を叩いてしまった。

著者がこの本で語るのは主に、
大相撲のいわゆる「国際化」が日本という只一つの国の中で行われていることの弊害である。
そのため、お客である日本人がナショナリズムを満足させることができず、
大相撲から足が遠のいてしまうのだという。

「国際化」というと一見ナショナリズムと正反対の概念に思えるが、実はそうではない。
スポーツの「国際化」というのは、その競技が世界中で行われ、
見るものが存分にナショナリズムを満足させられることをいうのだから。
「国際化」と「ナショナリズム」は実は不可分なのである。

たとえば既に「国際化」されたスポーツ、サッカーならワールドカップ、野球ならWBC。
みな夢中になって日本代表を応援できる。
健全なナショナリズムを大いに発揮発散できる。

ところが大相撲ではできない。
なぜなら、外国人力士も差別なく応援しなければならない、という義務感が見るものの内にあるからだ。

はるばる日本にやってきて、マゲを結いまわしを締めて日本語を覚え、
古いしきたりに懸命に従う外国出身の力士たち。

彼らに対し我々日本人は「応援してあげよう」という気持ちには確かになる。
しかし「してあげる」という立場では感情移入して一体化することはできない。

そしてスポーツ観戦は元来好き嫌いの論理でするものであり、理屈でするものではない。
好き嫌いを排除した義務感では、とても楽しめるものではない。
それが昨今の人気低下の背景だろうと、著者は語る。

結論をはっきり明示はしないが、本の終わりには以下のような一節が。

「実際のところは、日本相撲協会が外国出身力士の入門を完全に制限しても、
最初は鎖国だ何だと非難されるでしょうが、一週間もすれば世の中はそれで回り出すのがオチです。
外国出身力士の参入制限の正当な理由はどこにあるのかと言われても、
それは日本相撲協会が勝手に決めることだとしか言えません」

もう日本人だけでやるしかないだろう、というのがほぼ著者の結論のようだ。

確かに著者のいうように、
日本人が何の気負いもなく大相撲を楽しむには、
もはや外国人を締め出す以外にないのかもしれない。

この本が書かれたのは朝青龍のスキャンダルに大相撲が揺れていた時期だが、
その後白鵬が一時代を築き、三人の横綱がすべてモンゴル人となった現在、
この本のメッセージはより重みをもって伝わってくる。

遠藤というスターの出現で確かに人気は回復しつつある。
しかしいかに大器とはいえ、先は分からない。

白鵬の勢いも若干陰りが見えてはきたが、
鶴竜はまだまだ活躍できそうであるし、照ノ富士も逸ノ城もこれから一緒に伸びてくる。
遠藤ひとりに国技奪還の重荷を背負わせるのは、先を見れば相当に厳しい。
個人の頑張りに期待するより、制度設計を頑張る方が賢明とも思われる。

ただいきなり完全に制限してしまっても、著者のいうように簡単に物事はすまないだろう。
特に現場にいる外国出身の力士、年寄らの猛反発は免れない。

見る側も、入門が制限されていずれ外国出身の力士がゼロになったとき、
日本人だけで占められた土俵を眺めながら、
本当は世界のどこかにもっと素質のある者が、
強いものがいるのだよなあと思いながら相撲をみることになる。

朝青龍や白鵬の名は、相撲史上特異な時代の力士として残るのだ。
それをよしとできるかどうか。

とはいえ、現状を肯定できるかといえばそれは難しい。
とことん考えさせられる本である。
国技大相撲のあり方に問題意識のある方はぜひご一読を。

…といいたいところなのだが、この本、
冒頭にあげたような事情から、現在はほとんど出回っていないようだ。
アマゾンを見ても新刊は皆無で、中古品で数冊出ている程度。

ブログで勧めておいて入手困難です、というのもおかしな話だが、
興味のある方は頑張って手に入れてください(←無責任)。
でも一読の価値はありますぜ。
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元行司さんの書いた私小説

今日は本の紹介。

すなまわりすなまわり
(2013/08/23)
鶴川 健吉

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著者は高校を中退して行司となり、4年ほど務め序二段格まで昇進した後に引退した人。
この作品は角界にいたころの自らを描いたもので、今年上半期の芥川賞候補となっている。

行司さんの著作というと、定年まで勤めあげ立行司となった人の出世譚がもっぱらだが、
これは珍しいドロップアウト組のおはなし。

子供の頃から相撲が好きで、
学校から帰ると新聞記事のスクラップやラジオ中継に熱中していた「自分」。
力士を志すが体格が規定に届かず、
ならばどんな形でも相撲の世界に飛び込んでしまえと行司として入門。
人前で大きな声など出したこともなかった子が、
「ノコッタノコッタ」という自分の声に照れながら修行に精進してゆく。

土俵の上で、一見淡々と勝負を裁いているかの如き行司たち。
その内面が当事者の筆でありありと描かれているのが、相撲好きには興味深い。

序二段の優勝決定戦のくだりから拾うと。

膝の悪い木下が先にかまえて、相手が手を下ろすのをじっくりと待つはずはなく、どちらが先に手を付くのか譲り合う両者が待ったをしないように、少し早めに「手を付いて」と声を掛けておく。ちょうど同じタイミングでこぶしが仕切り線から離れ、理想通りの立ち合いになり、「はっけよい」と発した自分は立てておいた軍配を心置きなく引いた。


ともすれば機械的に取り組みを進行しているだけにも見える行司だが、
実際には両力士の体調まで考えながらタイミングをみて声を発している。
立ち合いにおいて力士同士の駆け引きは中継を眺めていてもよく分かるが、
行司がこれほど神経をつかっているのは知らなかった。

また別の勝負では、取り組みの最中に片方の力士の名を失念。
覚えている側の力士が勝つことを願いながら土俵を務める話などもあって、
大いに笑わされる。

と、内幕物として読む分には愉快なのだが、全体のトーンは非常に空虚なものだ。
いわゆる「ムリヘンにゲンコツ」の精神は力士だけでなく、行司の世界をも支配している。
理由もなく兄弟子から平手、竹刀などで「くらわされる」理不尽。
十代の少年は懸命に自身の内面に始末をつける。

これが行司の生活かと、そんなことを考えてはいけない。考えない考えない。考えないぞ。なにも考えないで身体だけ動かしているのが理想的だ。行司や部屋の兄弟子たちのいう通りにして、いかに感情を動かさないか、そうしていれば相撲の世界に馴染み、楽だということを身体でわかりはじめる。


一方でかつて志した力士への思いもあって。

勝つほどに上がっていく力士の番付はわかりやすい。そのかわり負けと休場でどんどん下がる。行司の番付はゆっくりとしか上がらないけれど、差し違えをしても落ちない。力士が勝つことで得ている喜びを、味わってみたいとたまに思うが、そんな気まぐれも、すぐになくなる。


実力本位で全てが決まる力士に対し、行司は完全な年功序列。
同じ土俵の上に立ちながら、全く異なる世界を生きねばならない。

結局著者は相撲界を去ったわけだが、そのあたりのことは全く描かれない。
巡業中の一場面で話はプッツリと終わってしまう。
だが結局自分のなかで折り合いが着けられなかったのだろう。
それは十分伝わってきた。

続編を期待したいが、おそらくもうこの人はこのテーマでは書かないのではないか。
自分の過去を整理するために綴ったような趣があって、
ハイ、相撲はこれでお仕舞い、とでも言いたげに読めた。

でも書いてほしいけど。

本のおすすめ・武田葉月著「横綱」

新刊で面白い本を読んだので、ちょっと紹介。

横綱横綱
(2013/05/08)
武田 葉月

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四十五代若乃花から七十代日馬富士に至るまで、
横綱経験者21人へのインタビュー集。
我が身で味わってみなければ分からない綱の重みについて、
それぞれがじっくり語ってくれている。
文章は一人称で書かれており、至極読みやすい。

一番の読みどころは双羽黒こと北尾光司さんの章。
すっかり表舞台からは姿を消してしまったが、この本では久々の登場。
廃業の折の騒動や、その後の人生について今の思いを語ってくれている。

他にも興味深い話がたくさん。
北海道巡業で地元の千代の富士に花をもたせるべき処を、
ライバル心から堂々吊りだしで破ってしまった隆の里の述懐には笑ってしまった。
さすがKYと言われる稀勢の里の師匠。

武蔵丸の章も面白い。
貴乃花の「鬼の形相」の一番ではすっかり敵役になってしまったが、
本人に言わせれば…

いや、あんまり書くとネタバレになるからやめておこう。
ぜひ読んでみてください。

それにしても皆が口を揃えるのは、
幕の上位から三役で横綱大関陣を食っていたころが一番楽しかった、ということ。
今なら妙義龍あたりがそんな時期なのだろう。
食われる側になってからは本当に苦しくて仕方が無いのが、この本を読むとよく分かる。
相撲関連では久々の好著。おすすめです。
プロフィール

うぃぬっ

Author:うぃぬっ
相撲の好きな犬。新潟県在住。近眼。千代の富士の時代に相撲を見始め、若貴時代はヒネくれていたのであまり見ず、朝青龍のときにまた見始めて現在に至る。

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