スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

安西先生相撲がとりたいです、の七日目

2連勝のあと4連敗の豊真将。
なんとか連敗ストップをというところで、
今日のあいては186キロの巨漢、明瀬山。

胸も腹もたるんでいておよそ力士らしからぬ体つきだが、
勝負どころではけっこうなスピードで攻めてくる。

●明瀬山<十両十三・3-4>(ひきおとし)豊真将<十両十四・3-4>○

立ち合い低いマショーを明瀬山突き起こして前へ。
マショー俵に足がかかったところから、上体下げていったん防御の構え。
そこから左おっつけて押し返す、頭もつける。
しかし明瀬山のけぞりながらも踏んばって右をさし、左もこじ入れて両差しの形、
ここから一気に出てきた。マショーピンチ。

しかしさすがマショー、
あいての両腕をはさみつけながら右へ右へと上手くまわりこみ、
土俵際で逆転のひきおとし。ようやく連敗をとめた。

昨日あたりから少しずつだが、らしい動きが出てきている。
相手の攻めをいったんは受けるが、そこで腰をおとして残し、
低い姿勢から逆襲に転じる独特のムーブ。
徐々に感覚ももどりつつあるのだろう。

産経のサイトに面白い記事が。スクラップしておく。

なぜ豊真将は2場所全休を決断したのか?(産経

三役経験者が関取として瀬戸際の戦いに挑んでいる。幕下まで後のない西十両14枚目の豊真将(錣山=しころやま=部屋)。2場所連続全休を経て、5月の夏場所から復帰した。負傷した左肩にテーピングを施し必死に土俵を務める。32歳の背中を押すのは、若き日のある苦い思い出だった。(宝田将志)

休場につながったのは、昨年11月の九州場所で痛めた左肩だ。西小結で本場所を迎えたが本来の力を発揮できず、4勝11敗と大きく負け越した。その後、明らかになった症状が「左肩腱板断裂」。腱板とは肩の深部で筋肉と骨をつなぐ部位で、状態は悪く、場所後の同12月に手術を余儀なくされた。東前頭5枚目だった1月の初場所は全休。東十両筆頭まで番付を落とした。続く3月の春場所も回復が思わしくなく全休した。

この決断は、関取の座を手放す危険と隣り合わせだった。十両の番付は負け越し一つにつき、およそ1枚下がると言われている。十両の定員は東西14人ずつ。1場所15日間休めば、幕下陥落の可能性があった。

(中略)

それでも、豊真将は「たとえ下に落ちたとしても、動くように治して戻ろうと思っていた」ときっぱり振り返る。

年齢的にも体力的にも左肩が回復しさえすれば再び幕内で戦える自信があった。4月に生まれた第2子となる次男も励みだった。何より「相撲が取れなくなることは絶望だった。治せばまた取れる」と考えていた。

この現役力士であることへの強い思い入れには、入門前の経験が関係していた。

豊真将こと山本洋介はアマチュア相撲のエリートコースを歩んできた。埼玉栄高で主将を務め、高校総体で団体優勝。大学相撲の名門・日大相撲部に進んだ。しかし、進展性の化膿性炎症である蜂窩織(ほうかしき)炎を患うなどして途中退部してしまう。大学1年、19歳の秋だった。

そこから普通の学生生活を謳歌(おうか)した。バイクに乗り、いくつものアルバイトを経験した。ただ、土俵からしばらく離れて分かったのは、自分にとって相撲はとても大切なものだということだった。

「けがとかいろいろあって自分でやめてしまった。親を悲しませて迷惑をかけた。後悔もした」

“挫折”と向き合い一念発起。3年間のブランクがあったが、大学を4年生で中退し、錣山部屋の門をたたいたのだ。

「だから自分から相撲を手放したくない。体が動かなくなって、もうダメだと思うところまでやり切りたい

左肩の手術から復帰までの間、四股、すり足などできる稽古に汗を流した。師匠の錣山親方(元関脇寺尾)は「腐っている素振りでも見えれば、ひと言、ふた言、声を掛けたかもしれないが、少しもそうは見えなかった」と、まな弟子の懸命さを表現する。

結局、夏場所は他の力士の成績との兼ね合いで十両の最下位にとどまって迎えることができた。

まだ左からの攻めは本来の強さがない。下半身と上半身の連動もしっくり来ていない。左肩の治療もまだ必要で、完全復活には程遠い。

それでも12日の初日、168日ぶりに本場所の土俵に立ち大歓声を浴びると、こみ上げて来る感情があった。

「ここが自分の居場所なんだ」。

心の奥に「途中退部」というトゲは刺さったままだ。だからこそ燃え尽きたいと思う。もう相撲人生に悔いは残さない。


幕下落ちも覚悟のうえでの先場所の休場だったようだ。
そして蜂窩織炎で学生相撲を挫折したことはファンには有名な話だが、
それが今回の復活へのモチベーションになっていたとは。

挫折したエリートの復活劇、というのに私は弱い。
分かる人にしか分からないが、名作マンガ「Slum Dunk」の「三っちゃん」。
私の中で豊真将はあのイメージなのである。


内容的にいいとはいえないが、それでも初日から6連勝中の稀勢の里。
今日の相手は過去通算5勝21敗と、大いに苦手にしている把瑠都。
相手が自分より大きいにもかかわらず、
小さいものと対戦するときとおなじように胸を合わせて持っていこうとする。
も少し相手に合わせて相撲をかえる工夫がほしいのだけれど。

○稀勢の里<大関7-0>(よりたおし)把瑠都<関脇3-4>●

立ち合いいきなり左をさしにいく稀勢の里。
あっさりと把瑠都に右の上手を与えてしまう。
稀勢の里右をおっつけながら前へ出れば、
把瑠都下がりながら強引な上手投げ一閃。

で、いつもなら把瑠都の勝ちパターンなのだが、
稀勢の里の圧力が予想以上だったのか、
把瑠都がおのれのコンディションを過信していたのか。
(今場所は調子がいい、と公言していた)
投げをうつ把瑠都の左の軸足が踏ん張りきかず、後ろへぶったおれるような格好に。
稀勢の里そこに乗じて寄り倒し。

まあ投げをよんでいた稀勢の里の対応がよかった、といえないでもないが、
基本的にはいつもの取り口だったろう。
把瑠都の自滅に勝ちを拾ったような相撲。

把瑠都のほうは取組後、左足をひきずって土俵を降りた。
そうとう痛めた様子で結局、

把瑠都が休場 負け越しなら三役陥落(ニッカン

元大関の西関脇把瑠都(28=尾上)が夏場所8日目の19日、日本相撲協会に「左膝前十字靱帯(じんたい)、半月板損傷により、以後の取組は休場を要する」との診断書を提出して休場した。把瑠都の休場は昨年の九州場所以来で8度目。8日目の対戦相手、妙義龍は不戦勝。

7日目の稀勢の里戦で古傷の左膝を痛めた把瑠都は「治すことを一番に(考えて)頑張りたい」と話した。師匠の尾上親方(元小結浜ノ嶋)は「18日の夜に本人から『痛みがある』と連絡があり、無理をしないで休ませることにした。残念だが、またやり直すしかない」と語った。7日目まで3勝4敗で、休場により負け越せば、2009年から維持した三役から落ちることになる。


「投げに頼る強引な相撲ではまた怪我をする」とは
テレビの解説者からもさんざん指摘されてきたことだった。
実際そのとおりになってしまった。

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

うぃぬっ

Author:うぃぬっ
相撲の好きな犬。新潟県在住。近眼。千代の富士の時代に相撲を見始め、若貴時代はヒネくれていたのであまり見ず、朝青龍のときにまた見始めて現在に至る。

リンク
最近の記事
最近のコメント
カテゴリー
月別アーカイブ
参加中
ブログ内検索
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。