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元行司さんの書いた私小説

今日は本の紹介。

すなまわりすなまわり
(2013/08/23)
鶴川 健吉

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著者は高校を中退して行司となり、4年ほど務め序二段格まで昇進した後に引退した人。
この作品は角界にいたころの自らを描いたもので、今年上半期の芥川賞候補となっている。

行司さんの著作というと、定年まで勤めあげ立行司となった人の出世譚がもっぱらだが、
これは珍しいドロップアウト組のおはなし。

子供の頃から相撲が好きで、
学校から帰ると新聞記事のスクラップやラジオ中継に熱中していた「自分」。
力士を志すが体格が規定に届かず、
ならばどんな形でも相撲の世界に飛び込んでしまえと行司として入門。
人前で大きな声など出したこともなかった子が、
「ノコッタノコッタ」という自分の声に照れながら修行に精進してゆく。

土俵の上で、一見淡々と勝負を裁いているかの如き行司たち。
その内面が当事者の筆でありありと描かれているのが、相撲好きには興味深い。

序二段の優勝決定戦のくだりから拾うと。

膝の悪い木下が先にかまえて、相手が手を下ろすのをじっくりと待つはずはなく、どちらが先に手を付くのか譲り合う両者が待ったをしないように、少し早めに「手を付いて」と声を掛けておく。ちょうど同じタイミングでこぶしが仕切り線から離れ、理想通りの立ち合いになり、「はっけよい」と発した自分は立てておいた軍配を心置きなく引いた。


ともすれば機械的に取り組みを進行しているだけにも見える行司だが、
実際には両力士の体調まで考えながらタイミングをみて声を発している。
立ち合いにおいて力士同士の駆け引きは中継を眺めていてもよく分かるが、
行司がこれほど神経をつかっているのは知らなかった。

また別の勝負では、取り組みの最中に片方の力士の名を失念。
覚えている側の力士が勝つことを願いながら土俵を務める話などもあって、
大いに笑わされる。

と、内幕物として読む分には愉快なのだが、全体のトーンは非常に空虚なものだ。
いわゆる「ムリヘンにゲンコツ」の精神は力士だけでなく、行司の世界をも支配している。
理由もなく兄弟子から平手、竹刀などで「くらわされる」理不尽。
十代の少年は懸命に自身の内面に始末をつける。

これが行司の生活かと、そんなことを考えてはいけない。考えない考えない。考えないぞ。なにも考えないで身体だけ動かしているのが理想的だ。行司や部屋の兄弟子たちのいう通りにして、いかに感情を動かさないか、そうしていれば相撲の世界に馴染み、楽だということを身体でわかりはじめる。


一方でかつて志した力士への思いもあって。

勝つほどに上がっていく力士の番付はわかりやすい。そのかわり負けと休場でどんどん下がる。行司の番付はゆっくりとしか上がらないけれど、差し違えをしても落ちない。力士が勝つことで得ている喜びを、味わってみたいとたまに思うが、そんな気まぐれも、すぐになくなる。


実力本位で全てが決まる力士に対し、行司は完全な年功序列。
同じ土俵の上に立ちながら、全く異なる世界を生きねばならない。

結局著者は相撲界を去ったわけだが、そのあたりのことは全く描かれない。
巡業中の一場面で話はプッツリと終わってしまう。
だが結局自分のなかで折り合いが着けられなかったのだろう。
それは十分伝わってきた。

続編を期待したいが、おそらくもうこの人はこのテーマでは書かないのではないか。
自分の過去を整理するために綴ったような趣があって、
ハイ、相撲はこれでお仕舞い、とでも言いたげに読めた。

でも書いてほしいけど。
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プロフィール

うぃぬっ

Author:うぃぬっ
相撲の好きな犬。新潟県在住。近眼。千代の富士の時代に相撲を見始め、若貴時代はヒネくれていたのであまり見ず、朝青龍のときにまた見始めて現在に至る。

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