史上最高齢の幕内力士は何歳であったか
今場所は東前頭12枚目の大ベテラン旭天鵬。
大きな体で上手を引けば、まだまだ若いもんには負けません。
記事中「史上初の40歳幕内力士」とあるが、けっしてそんなことはない。
歴史をさかのぼるとまだまだ怪物がいる。
戦後の最高齢幕内力士は名寄岩静夫。
「涙の敢闘賞」で有名な人だが最終場所は昭和29年9月場所、
西前頭9枚目40歳と6日で千秋楽を迎えている。
昭和以降戦前の最高齢幕内力士は能代潟錦作という人。
昭和11年5月場所、東前頭7枚目が最終土俵だが、このとき41歳1ヶ月。
大正では立川 七郎兵衛。
名鑑の類には改名前の「甲(かぶと)吾郎」の名で記載されていることが多い。
最終場所の大正2年1月、東前頭18枚目で43歳1ヶ月であった。
明治まで行くと凄まじい。なんと51歳10ヶ月。
鬼ヶ谷才治が明治40年1月場所で記録している。
もうこれ以上はないだろう、と江戸時代をのぞくとまだ凄いのがいて、
寛政8年(1796)の3月場所で引退した宮城野錦之助。
おそろしやこのとき52歳だったとか。
今も残る年寄名跡「宮城野」の初代にあたる人。
52歳で幕内ってどんだけよ、と思うが、
たとえば2014年の現在から計算すると1962年、昭和37年生まれに当たる。
相撲人名鑑などパラパラめくると、
元栃乃和歌の春日野親方、両国の境川、大乃国の芝田山、水戸泉の錦戸、
なんかが丁度この年の生まれ。
水戸泉が白髪の混じった頭でまだ大銀杏を結って、
旭日松と仕切りで塩まき合戦を繰り広げるさまを想像すると…
大相撲の歴史は深い。
大きな体で上手を引けば、まだまだ若いもんには負けません。
旭天鵬7勝1敗 目指せ!40歳幕内(デイリー)
幕内旭天鵬(39)が2日、名古屋市内の友綱部屋で新十両旭大星と8番取って7勝1敗と元気なところを見せた。
幕内在位93場所目で歴代3位の寺尾に並び、幕内出場回数も13日目に同3位の寺尾の1378回に並ぶ。来場所には史上初の40歳幕内力士誕生という大目標もあり「記録はとても励みになる。40歳幕内は最大の目標。頑張る気になれる」と意気軒昂だった。
記事中「史上初の40歳幕内力士」とあるが、けっしてそんなことはない。
歴史をさかのぼるとまだまだ怪物がいる。
戦後の最高齢幕内力士は名寄岩静夫。
「涙の敢闘賞」で有名な人だが最終場所は昭和29年9月場所、
西前頭9枚目40歳と6日で千秋楽を迎えている。
昭和以降戦前の最高齢幕内力士は能代潟錦作という人。
昭和11年5月場所、東前頭7枚目が最終土俵だが、このとき41歳1ヶ月。
大正では立川 七郎兵衛。
名鑑の類には改名前の「甲(かぶと)吾郎」の名で記載されていることが多い。
最終場所の大正2年1月、東前頭18枚目で43歳1ヶ月であった。
明治まで行くと凄まじい。なんと51歳10ヶ月。
鬼ヶ谷才治が明治40年1月場所で記録している。
もうこれ以上はないだろう、と江戸時代をのぞくとまだ凄いのがいて、
寛政8年(1796)の3月場所で引退した宮城野錦之助。
おそろしやこのとき52歳だったとか。
今も残る年寄名跡「宮城野」の初代にあたる人。
52歳で幕内ってどんだけよ、と思うが、
たとえば2014年の現在から計算すると1962年、昭和37年生まれに当たる。
相撲人名鑑などパラパラめくると、
元栃乃和歌の春日野親方、両国の境川、大乃国の芝田山、水戸泉の錦戸、
なんかが丁度この年の生まれ。
水戸泉が白髪の混じった頭でまだ大銀杏を結って、
旭日松と仕切りで塩まき合戦を繰り広げるさまを想像すると…
大相撲の歴史は深い。
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