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栃乃若の引退を惜しむ




あまりにも突然の引退劇。
確かにここ数年は停滞していたが、まだ26歳。
197センチ181キロの恵まれた体格、深いフトコロ、抜群の柔軟性。
これから取り口を変えていけば、三役大関も夢じゃないと私は見ていたのだが。

記者会見の様子をニッカンの記事から。

栃乃若7年の力士人生に幕「限界超えてた」ニッカン

前頭栃乃若(26=春日野)が16日、引退会見を行った。日本相撲協会には15日に引退届を提出していた。

はかま姿で登場した栃乃若は「ギリギリまで悩みましたが、応援してくれる皆様の期待に応えられなかった。この歳でふがいない相撲を見せた自分に対して、これからも頑張ろうという気力を保つことができなくなった。突発的に見えるかもしれませんが、今までのふがいなさは、すでに限界を超えていました」と理由を説明した。約2年前から引退を考え始め、両親にも相談したという。後悔はないかと問われると、少しだけ間を置いて「はい」と力強く返した。



2年前、というのは平成24年
前年の新入幕から順調に番付を上げ、3月場所で西の筆頭にまで躍進。
ここで5勝10敗と振るわず、肘のケガなどもあってその後も3場所連続で負け越し。
十両7枚目まで落ちた11月場所で、13勝2敗と一気に持ち直した年である。

高校時代には4つものタイトルを獲得し、鳴り物入りで角界にはいった栃乃若。
初めて幕内の上位を経験して、現実を突きつけられたのだろう。

気になるのは「ふがいない」という本人の言い方で。
コトバの裏には「もっと出来るはずなのに」という思いが見え隠れする。
周囲から大器大器と囃される中、
自分をはかる物差しがどんどん上の方に行ってしまった。

オレそんなもんじゃねえよう、と開き直り、
平幕や十両でもいいから長く勤めて稼いでやれ、というほどの
図々しさはこの人には無かった。

横綱に大関にという周りの期待に応えられない(と本人が思う)以上、
相撲を続けていくことは栃乃若にとって無意味だったのだろう。

記事の続き。

冬巡業から帰った翌日に話を聞いたという師匠の春日野親方(元関脇栃乃和歌)は「青天のへきれきというか…びっくりした」と驚きを隠せなかった。中学の頃から勧誘を続け、入門させた逸材。「部屋を選んでくれたときは、踊り出したいぐらいの気持ちだった。部屋だけでなく、角界を代表する力士にしなければと、これはふんどしを引き締めてやらんといかんなと思っていた」と当時の胸中を明かした。

一方で、その期待のあまり、師弟関係にズレが生じた。変則的な相撲を取る栃乃若に対し、春日野親方は「うちの部屋は押しが基本。角界を代表する力士に、跳んだり跳ねたりさせたくなかった」と、基本からたたき込んだ。それが仇となった。「後から聞いた話だが、好きなように相撲を取らせてほしかったと言っていた。いろんな疑問、苦労が彼の中にはあった。それに気づいてあげられなかった私がふがいない。今でも反省している」と話した。



入門したころは、肩越しに上手を取って差しに行くというのが本人のスタイルだったようだ
それでは上が望めないというので、親方がオーソドックスな相撲に矯正させたらしい。
栃乃若というと、長い両腕をクネクネとねじ込んで双差しとなり、前へ出るのがおなじみのスタイルであった。
あれが矯正の結果だったのだろうが、体の柔らかさを無駄に使っている気がして、
見ていてそれこそ「ふがいない」ものだった。

大男揃いの力士のなかでも、並外れた上背とリーチを天から授かったこの人。
双差しなどに拘らず、上手からガバッと捕まえてしまえばいいのに。
それが衆目の一致するところで、テレビの解説でも散々言われていた。
しかし元々本人はそういう相撲を取っていた訳で。
さりとて親方と衝突してでも自分の取りたい相撲を取るほどの根性はなかった。

それでも中継のなかで、低迷する栃乃若の取組のおり、
「今栃乃若は上手からの相撲を模索しています…」といった話は、
レポーターやアナウンサーから何場所かおきに聞かれたように思う。
おおそうか、これは期待できる、と私はその都度感じたのだが、
結局本場所の土俵では毎回双差しねらい。
モデルチェンジした栃乃若の姿はついぞ拝めなかった。

どういうことだったのかな、と今にして思うが、
たとえば稽古場で少しやってみたけど、あまりうまく行かず、
親方にさっさと戻された…といったところだったかも知れない。
あるいは厳しい親方の目を気にするあまり、
心優しい栃乃若が進んで従来の形に戻したのか。
部外者の勝手な推測にすぎないが、
師匠と弟子との相性が悪かったのだろう。

たとえば高砂部屋や東関部屋は放任主義的とよく聞く。
こうした部屋でノビノビやっていれば、
栃乃若の相撲人生も少しは違ったものになっていたのではないか。

会見翌日の協会ツイート。


自分の取りたい相撲があったなら、
師匠と話し合ってもう一度それで思い切ってやってみたら良かったろうに。

しかし2年のあいだ、自分一人で様々なものをしょい込んで、
勝手に自らを追い込んでいたのかも知れない。

そう考えると、結局勝負師向きの人ではなかったのだろう。

とはいえ…切ないなあ。
結局この人は誰のために相撲を取っていたんだろう。


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栃乃若

春日野親方が4時間説得しても翻意しなかった、という記事を読んで、
そんな粘りは土俵の上で見せてほしかった、と思う。

いっそ女やギャンブルやドラッグがらみで引退なら、まだ納得もいく。
安美錦や若の里や、30歳を過ぎても満身創痍で相撲を取り続ける力士も見ているはずだ。

残念です。

No title

うぃぬっさん、こんばんは。

十両で年寄襲名条件を満たせばいいのにと引退の
報道を見たときは思っていたのですがそんなに
ご本人が悩まれているとは驚きました。

引退の際の親方との話し合いをもっと前にできていればと
思うと残念です。

Re: 栃乃若

shin2さんコメントありがとうございます。

まあ4時間の説得にも翻意しなかったというのは、
よほど本人の決意が固かったんでしょうね。

というかそうなる前に、
もっと親方とコミュニケーションが取れていなかったのか、とも思うのですが。

またshin2さんのおっしゃるように、遊びでしくじるなら、
しょうがない奴だったんだな、で済むのですけど。

この人は真面目過ぎるほど真面目な人だった。
何とかできたんじゃないか、という思いは余計に感じます。

親方に理解力がなかったのか、弟子に根性がなかったのか。
分かりませんけれども。

もったいないことです。

Re: No title

雑談さん、コメントありがとうございます。

確かにあと数場所、十両であっても務めれば、
名跡を取る資格は得られたんですよね。

ただもう本人はハナから角界に残る気もなかったようで…

本当に、もっと前から話し合っていれば良かったのですよね。
結局それが許されない空気が、師弟の間にあったということでしょう。

親方が古風で厳しすぎたこともあるでしょうし、
弟子が現代っ子で独りよがりがすぎた…のかも知れません。

かえすがえす、残念です。
プロフィール

うぃぬっ

Author:うぃぬっ
相撲の好きな犬。新潟県在住。近眼。千代の富士の時代に相撲を見始め、若貴時代はヒネくれていたのであまり見ず、朝青龍のときにまた見始めて現在に至る。

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