スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

今更ながら白鵬の審判部批判について~その1~


白鵬の審判批判問題。
いささか時期を逸したエントリーではありますが、
自分なりに思うことが多々あったので記しておきます。

今回の白鵬の発言は、相撲ファン以外の耳目も集め、
ある種社会的な騒動にもなりました。
どうしてここまで盛り上がってしまったのか。

まずは発端となった白鵬と記者との一問一答。

疑惑の相撲が1つある/白鵬の批判発言ニッカン

大相撲初場所で史上最多33度目優勝を全勝で飾った横綱白鵬(29=宮城野)が26日、審判部を痛烈批判した。東京都墨田区の宮城野部屋で行われた一夜明け会見で、取り直しになった13日目の稀勢の里戦について言及。納得いかない様子で「子供が見ても分かる。なぜ取り直しになったのか。2度とないようにやってもらいたい」などと、異例の注文を付けた。

<白鵬の審判部批判発言>

 -大記録を全勝で決めた

白鵬 疑惑の相撲が1つあるんですよね。これは、いかがなものかと。13日目ですね。みなさん、知ってるでしょう。勝ってる相撲ですよ、1番目は。その時は分からなかったけど、帰ってビデオを見たけど。子供が見ても分かるような相撲なんでね。なぜ、取り直しになったのか。あの大鵬親方が、45連勝して勝った相撲が、負けになった。それからビデオ判定ができた。なのに、ビデオ判定は何をしたのか。本当に悲しい思いでした。ビデオ判定があれば、大鵬親方のあの負けもなかったかも。連勝記録も続いていたかも。もう少し緊張感をもってやってもらいたい。負けてたら(自分の)優勝記録が止まったかもしれない。勝てたから良かったけど。

 -優勝した後も集中して相撲を取れたか

白鵬 ビデオ判定の方も、元お相撲さんでしょう。取り直しの重みも一番分かっているはずじゃないの。簡単に取り直しと言うのはやめてくれと思いながら、その日夜、ビデオで見たんですよ。こんなの2度とないようにやってもらいたい。そう思ってやってましたけどね。本当に肌の色は関係ないんだよね。この土俵に上がって、まげ結ってることになれば日本の魂なんですよ。みんな同じ人間です。

 -記念の優勝が全勝になったが

白鵬 13日目は苦労しました。(稀勢の里と体が)重なって落ちましたから、よく分からなかった。13日目に決まったのも久しぶりで帰った後、ビデオを見た。悲しかった。盛り上がりどうこうじゃない。こっちは命を懸けてやってますからね。

 [2015年1月27日8時54分 紙面から]


もともと大相撲に限らず多くのスポーツでは、
審判を競技者が批判するのは御法度とされています。

最近でもサッカーの本田圭佑選手が、アジアカップで試合終了後審判を批判。
罰金5000ドルの処分を受けました。
野球でもメジャーリーグなどは審判の判定は絶対です。
イチローがこの禁忌を破って物議を醸したこともありました。

ただ程度の差というものはあって。
競技場を離れた会見の場などで、大っぴらに批判する。
これはどのスポーツでもタブーです。

しかし野球やサッカーでは、現場でプレーの最中、
ジャッジに対し軽く疑問を呈したり、
何がいけなかったのか確認するぐらいは大目に見られている。

さらに言えば。
判定に激昂して詰め寄るような真似をすれば、
野球でもサッカーでも即退場ではあります。

それでも選手はバットを放ったり、ユニフォームを脱ぐなどして、
観客へ不服の意思を示しつつ競技場を去っていきます。
それは観る側にとってはおなじみの光景で、
ジャッジによっては「まあ仕方ないな」という程度の振る舞いに映るものです。

ところが大相撲は違う。

土俵上で行司に向かって問いただしたり、
審判に自ら確認するような力士はいません。
まして判定を不服として大声で観客に訴える力士など皆無。
マゲやマワシを解いてアピールするお相撲さんも見たことがない。

もしそんな力士がいたら…まあ面白いかもしれませんけど、
相撲を見慣れた人間は目を疑うでしょう。

それだけジャッジの絶対性が確立されている競技において、
他の競技でさえ許されていない公の場での批判。
これを第一人者が禁をやぶって敢行してしまった。
今回の件はそういうことなのだと思います。


なぜこうも、我々日本人は野球やサッカーに対するときと、
大相撲に対するときと、観る目が違うのでしょうか。

それはやはり、国技を名乗る以上は力士一人一人に、
日本人の美徳を体現してほしいと願うからに他なりません。

謙譲の美、あるいは抑制の美。

おのれの持てる力を精一杯発揮したそのあとは、
他者の決める判定に例え不満があろうとも、
文句ひとつ言わず静かに土俵を去ってゆく。

そうした態度を良しとする心性があるからこそ、
日本人は大相撲を観ているとどこか安心する。
時に退屈ではあっても、何かホッとする。

毎日職場で学校で、オレがオレがの日常を過ごす中。
テレビをつければ、あるいは本場所や巡業に出向けば、
今どきちょんまげを結った人たちが、
古武士のような潔い振る舞いを見せてくれる。
それこそが日本人にとって、大相撲の存在意義だと思うのです。


はっきり言えば古臭い美学です。
日本人ももっと自己主張をと言われて久しい。
グローバルだインターナショナルだの世においては、負け組必至の身上かもしれない。
しかしだからこそ尊く見える。

例えば、昨年1月場所千秋楽の里山対高安戦。
およそ6年ぶりに幕内に返り咲いた里山が、
幕内初の勝ち越しと技能賞をかけて戦った相撲。



大熱戦の末、マゲをつかんでの反則負けという非情な裁定で彼は敗れ去るのですが、
当時多くの同情が集まった一番でした。

ネット上は彼を気の毒がるツイートで溢れ、
翌日のスポーツ紙でも漫画家のやくみつるさんが「幻の技能賞」と嘆じ、
昨年末NHKの大相撲特番でも、ゲストの方が今年最も印象に残った取組として挙げていました。

されど、もしこのとき里山が往生際悪く、
「故意につかんだわけじゃねぇよう」だの、
「つかんでなくても高安は倒れてたろう?」などと、
行司木村晃之助や鏡山審判長に詰め寄っていたなら。
あれほどこの取組が話題になることはなかったでしょう。

悔しそうな表情を浮かべながら、文句ひとつ言わず花道を下がる里山。
彼が言葉にしないからこそ、観る側は思いを想像する余地がある。
想像するから心に残る。

あらゆることを言葉にして、万事薄っぺらになりゆく風潮の中。
力士だけは昔の日本人のままでいてくれる。

もちろん実際には、みな二十代中心の若者です。
裏では当然、しばしバラエティー番組で見せる素顔で分かるように、今どきのコたちです。
しかし一歩花道を出れば、古き良き日本人をしっかり演じてくれる。

それが国技を自称する大相撲の、力士一人一人の役割だと、私は思います。
言葉にこそしなくとも、日本人の多くが、少なくとも相撲好きの多くがお相撲さんに期待するのは、
そうした在り方でしょう。

今回の白鵬の発言は、その役割をトップ自らが放棄するものだった。
だからこそバッシングに至ったわけです。

次回、もう少し続きを。

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

うぃぬっ

Author:うぃぬっ
相撲の好きな犬。新潟県在住。近眼。千代の富士の時代に相撲を見始め、若貴時代はヒネくれていたのであまり見ず、朝青龍のときにまた見始めて現在に至る。

リンク
最近の記事
最近のコメント
カテゴリー
月別アーカイブ
参加中
ブログ内検索
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。